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松前藩屋敷

北海道松前郡松前町西館68

撮影日:2007年07月30日




番 屋

 蝦夷地第一の生産物であるにしん(青魚・鯡)漁業は、春二月から入稼漁夫が入って、三月の彼岸のころから五月まで操業した。
 普通の漁師は、刺網で2、3人の人で漁をおこなったが、資本のある人は大綱(行成網のちに大謀網)を経営した。
 この網一ヵ統で約二十人位の人を要するので、漁夫は主に本州から集めた。
漁場では大船頭、沖船頭、陸船頭、書役、細工(船大工やいろいろ工作する人)等のほか、やん衆と 呼ばれる入稼漁夫、にしん運びの女、にしん漬し(内職を取って干す)女、飯炊き女等がいた。
 にしんが群来て(陸に寄って)くると、番屋で寝る暇もなく飯も立ったまま喰うという忙がしさであった。






商 家
 松前の商家の多くは近江商人や、北陸地方出身の商人が多く、これらの人たちの出身地のの商品を北前船へ(弁財船)に積んで来て販売した。
 取扱う商品も大阪、敦賀、三国演湊、橋立、輪島、七尾、新潟、佐渡、酒田、秋田、津軽の日本海沿岸の商品が多く、呉服、米穀、太物(錦織物など太い糸の織物)、調味料から俵筵、縄、竹細工、漆器、鍋釜、瀬戸物、鉄器類、漁綱、薬品にいたるまで、あらゆる品を取り揃えていた。
 また、これらの店舗を張る商人のなかには場所請負人となるものもあり、巨万の富を築いた人が多い。

民 家

 庶民の生活は、せいぜい居間と寝室の二間程度の棟割長屋の居住者が多かった。
屋内は、入った土間には流し、水甕、へっついを置き、居間は炉端を中心として戸棚、食卓を配し、奥に間には家人の寝室で仏壇、神棚が備えられていた。
 屋根は長柾葺に石を置いた石置屋根で、この長屋の奥には井戸があり、女性たちが洗濯物をしたり、食器を洗ったりして世間話をする社交の場であった。

     
     
     
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