毛利氏庭園

山口県防府市多々良1-15-1

撮影日:2004年06月27日


毛利邸正門

 毛利邸は明治25年(1892)、井上馨が旧長州藩主毛利氏の本居にふさわしい所として現地域を選定し、当時壮大な構想のもとに整地ならびに資材の準備にかかった。
 しかし相ついで起った日清・日露の戦役に遭遇し、工事を一時さしひかえたので遅延がちとなり、施工準備がととのったのが大正元年(1912)9月で、同5年に完成している。

 邸地は多々良山の南麓に位置し、南方前面には史跡周防国衙跡を眼下に防府平野が開け、視線をのばすと三田尻湾から瀬戸内海を見おろし、晴れた日には大分県姫島を展望することができる。
 しかも気候は温暖、空気は清澄、まさに絶好の勝地である。
 その広さは庭園83,957.13平方メートル、本邸4,000.55平方メートルおよび、明治・大正の建築・造園技術の粋をつくし、かつ自然の美を配した規模雄大なもので、当時の日本庭園・日本建築の頂点をゆくものとして高く評価されている。

 本邸は江戸期の御殿造の様式を取り入れた近代建築で、木曽御料林のヒノキ、屋久島の神代スギ、台湾の巨大ケヤキなど無比の良材を用い、人工の妙をつくした壮大美麗な殿堂である。

 部屋数60、畳数780枚をかぞえる。大正5(1916)年に大正天皇、同11年に貞明皇后、昭和22(1947)年に昭和天皇、同31年に昭和天皇・皇后両陛下の御宿泊所となった。

 構内には祖霊社・絵画堂・梛邸などがある。祖霊社は毛利家の始祖天穂日命以下第70代元道にいたる神霊をまつり、春・秋二季例祭が執行される。
 絵画堂は正面段上毛利元就の木像を安置し、左右の堂上に元就以下先代元道にいたる歴代当主の肖像画をかかげる。
 梛邸は明治44(1911)年、明治天皇が九州における陸軍特別大演習御統監のため御西下の際、往路・復路ともに御宿泊所となり、戦前は「明治天皇多々良行在所」として国から史跡に指定されていた。院に面して庭がある。 


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