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時計台

北海道札幌市中央区北一条西2丁目

撮影日:2007年07月25日






五稜星アーチの説明

 札幌農学校当時の入学式や卒業式などの行事の時に、使用されていた装飾品を再現しています。
デコレーションアーチの真ん中にある星は、時計台などの建物の装飾と同じように、開拓使徽章をイメージしています。

 開拓使徽章とは、北辰(北極星)をかたどった五稜星で、明治5年(1872年)開拓使附属船樺太丸の船長であった御用掛蛯子末次郎が、北海道徽章を定めたとする伺いを提出し、紺地に赤の五稜星を配した徽章を考案し採用されました。
 明治6年(1873)10月、札幌に完成した開拓使本庁の塔上には、白地に赤く五稜星を染め抜いた開拓使徽章が揚げられ、各支庁や出張所、官営工場でも使用されました。
 このほか五稜星は、各種の旗章や服章、建物の装飾、官営工場の商標などにデザインされ、開拓使のシンボルマークになりました。
 その後も開拓使徽章は、北辰旗と愛称され、開拓精神のシンボルマークとして、今に語り継がれています。



上げ下げ窓について

 「上げ下げ窓」は、2枚それぞれが自由な位置に停止できます。
それは、窓と同じ重さのおもりが両脇につるしてあるからです。
 この「上げ下げ窓」は、平成7〜10年(今回)の行われた修理で撤去した「トイレ棟」で使われていたもので制作年代は昭和42年(1967年)です。

現在時計台で使われている「上げ下げ窓」は、
1.昭和8年に取り替えられたものを、昭和42年に改造したもの
2.昭和42年に新しく制作いたもの(主に母屋1・2階の北側)
3.平成7〜10年に行われた修理で復元したもの
 (1階の大展示室北側西端と、北翼部1階東面−資料閲覧室の東側)
 の3種類で、残念ながら当初(明治11年)の「上げ下げ窓」は残っていません。



     
     
     
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