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白石青函トンネル記念館

北海道松前郡福島町字三岳32の1

撮影日:2007年07月30日

 

   
所在地   : 北海道松前郡福島町字三岳32の1
時間   : 9:00〜17:00
入館料   : 一般400円、小・中・高校生200円
横綱記念館との共通券(一般700円、小・中・高校生350円)
休館日   12月1日〜3月31日まで冬期間中は休館
駐車場    
問い合わせ   : 0139-47-3020


  排水ポンプ

試すい機 アジテーターカー

緊急用排水ポンプ台車 試すい機用送水ポンプ

【多目的ホール】

 記念館の入り口となる多目的ホールは、トンネル工事の先端で活躍した「トンネルボーリングマシーン」が置かれたありました。当時は、此れで穴を掘り進んだんでしょうね
 データライブラリーコーナーでは、福島町の観光スポット等をパソコンで紹介しています。
また、ホールには福島町の特産品販売コーナーや軽食コーナーもありました。


青函連絡船【第十一青函丸】

就航:昭和20年10月9日 終航:昭和29年9月26日
重量:3142.00トン     全長:118.01m
速力:17.14ノット      載貨車:44両

 戦後まもなく就航し、進駐軍専用船に指定され活躍しました。しかし、昭和29年9月、洞爺丸事故を引き起こした台風15号によって沈没しました。

・貨車をまるごと船で運ぶ
 貨物の輸送は、貨車から船への積み替えが大変でした。そこで、大正に入ると、船内に線路を取り付け、貨車をそのまま船に積んで運ぶ車両航送が行われるようになりました。

・トンネル開業とともに終航
 青函連絡船は、北海道と本州を結ぶ大動脈として活躍してきましたが、1970年代半ばから輸送量が減少し、飛行機や民間のフェリーなど他の輸送路の利用が増えていきました。
 そして、1988年(昭和63)年3月、青函トンネルの開業とともに、青函連絡船は80年の歴史に幕を閉じました。


【横綱 北の富士の手形】 

 昭和45年8月、青函トンネル工事の安全祈願のため斜抗口に土俵が作られ、大相撲地方巡業の北の富士、清国一行が土俵入りを披露、町民と楽しいひと時を過ごしました。
 その後、褌一貫の大きな体を乗せた五人の力士が、先進道坑1700メートル付近まで入坑しました。
 記念に横綱に昇進したばかりの北の富士が、トンネルマンが磨いた側壁面に朱色も鮮やかに大きな手形を押しました。
 その場所は大事に保管されていましたが、工事が進むにつれて支障をきたしてきたので、手形の部分を掘抜き、保存展示することになりました。


トンネル計画の歴史 青函トンネル構想から着工まで

【削岩機】

 岩石を爆破するために、岩石にダイナマイトを詰める孔を掘る機械です。
圧縮空気の力によって先端のノミが回転し、岩石に打撃を与えて孔を掘っていきます。


旅 程 (松前郡松前町・福島町(松前城・千代の富士・横綱千代の山・千代の富士記念館))  食事
25 7/30
(月)
晴れ 5:15道の駅 知内---青函トンネルメモリアルパーク8:33---白神岬(北海道最南端)8:53---白神岬燈台9:00---松前矢越立自然公園9:12---松前城下町9:12---松前城9:42---松前神社10:13---光善寺10:16---法憧寺10:31---松前藩屋敷11:06---横綱千代の山・千代の富士記念館13:05---白石青函トンネル記念館14:57---青函トンネル北の玄関口16:50---知内温泉19:08---道の駅  車内泊20:10

     
     
     
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