有島記念公園

北海道虻田郡ニセコ町字有島

撮影日:2007年07月28日

作家 有島武郎にゆかりの有島記念公園。

 ニセコ駅から車で15分くらいの場所にあります。
有島武郎の所有していた農場、および、解放後の共生農団跡地の一部として開放されている
有島武郎記念公園
 ニセコゆかりの文豪、有島武郎生誕100年を記念して作られたそうです。
有島記念館は、記念館、有島カルチャーセンター、有島アートギャラリーから成る。雄大なニセコの地に、町民が継承したこの記念館では、劇的な生涯を送った有島武郎の明澄な思想、文学に触れることができます。
 周りの環境は、自然が広がり秀峰羊蹄山やニセコアンヌプリを望む綺麗な風景で、公園内は、赤レンガ敷きつめられ綺麗に整備された庭があり、記念館も白で綺麗でした。

 記念館近くにある、有島武郎作品 「親子」に登場する
「親子」の坂もあります。

君よ、春が来るのだ。
冬の後には春が来るのだ。
君の上にも確かに、正しく、力強く
永久の春が微笑めよかし・・・・・・
僕はただそう心から祈る。
   有島武郎 「生まれ出づる悩み」より


綺羅乃湯
所在地   : 北海道虻田郡ニセコ町字有島57
時間   : 9:00〜17:00
入館料   : 大人500円、 小人100円
駐車場 あり
問い合わせ   : 0136-44-3245

有島記念公園案内図


有島武郎の銅像

 秀峰羊蹄・ニセコ連山に抱かれたこの地は、白樺脈き代表する作家有島武郎の生涯にわたる苦悩の場であり、慰藉であり、彼の作品の母胎の地でもある。
 彼は農場所有にうしろめたさを感じながらも、この農場を人と大自然をこよなく愛し、この地を舞台とした「カインの末商」「生まれ出づる悩み」等、多くの文学作品を残し、その作品は、現在も多くの人々の心に深い感銘と感動を与え続けている。
 思想的幾変還ののち、この地に所有していた農場を土地共有という形で小作人に無償で開放した。
 彼の理想と精神は、幾多くの不滅の作品と共に今日も、このニセコの大地に生き続けている。



「クララ」リトルチャーチ

「平原の平和な夜の沈黙を破って、はるか下のポルチウンクウラからは、新嫁を迎うべき教友らが、心をこめて歌いつれる合唱の声が、静かにかすかにおごそかに聞こえてきた。」
                                        「クララの出家」末家より


有島アートギャラリー(奥側)と有島記念館(展示)(右側)


赤レンガが敷きつめられたカスケード


有島記念館入口の広場


 長い影を地にひいて、痩馬の手綱を取りながら、彼は黙りこくって歩いた。
大きな汚い風呂敷包と一緒に、章魚のように頭ばかり大きい赤坊をおぶった彼の妻は、少し跛脚を  
ひきながら三、四間も離れて、その跡からとぼとぼとついて行った。
北海道の冬は空まで逼っていた。

 蝦夷富士といわれるマッカリヌプリの麓に続く、胆振の大草原を、日本海から内浦湾に吹きぬける西風が、打ち寄せる 紆濤(うねり) のように跡から跡から吹き払っていった。
 寒い風だ。
見上げると八合目まで雪になったマッカリヌプリは、少し頭を前にこごめて風に歯向いながら黙ったまま突立っていた。
 昆布岳の斜面に小さく集った雲の魂を眼がけて、日は沈みかかっていた。
草原の上には一本の樹木も生えていなかった。
 心細いほど真直な一筋道を、彼と彼の妻だけが、よろよろと歩く二本の立木のように動いて行った。
                                     有島武郎著「カインの末商」冒頭より



吉川銀之丞顕彰碑

 


羊の牧場だったかな?

「星座」花時計
旅 程 (余市郡余市町(旧余市福原漁場)→虻田郡ニセコ町(神仙沼湿原・五色温泉))  食事
23 7/28
(土)
晴れ 5:28道の駅(スペース・アップルよいち)---旧余市福原漁場9:23---神仙沼(神仙沼湿原)11:22---ニセコ 五色温泉14:10---ニセコ神社15:06---大谷池16:07---ニセコ駅16:58---有島武朗 小説「親子の坂」17:08---有島記念公園17:16---細川たかしの像17:16---道の駅 (くろまつない) 車内泊20:10

     
     
     
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