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松前城(復元天守)

北海道松前郡松前町松城

撮影日:2007年07月30日

福山城(松前城)本丸御門修理概要等 重要文化財

 福山城(松前城)は、松前町福山の台地に築かれた平山城で、近世に築城された北海道唯一の城郭である。
 松前家五世慶広が、天正17(1589)年、徳山(大館)の居館焼失を機に、慶長五(1600)年福山の地で築城に着手し、同十一(1606)年完成した。
 蝦夷地の中心として威容を誇ったこの城は、嘉永三(1850)年、幕府の命により取り壊され、高崎藩士市川一学の縄張りにより、直ちに全面的な改築に着手し、安政元(1854)年完成をみた。
 その後十数年を経ずして、明治維新の戦乱により廃墟と化し、さらに明治八(1875)年には、天守(三層櫓)・本丸御門・同東塀等を残して取り壊された。
 昭和十六年これら三棟は、国宝に指定されたが、同二十四年本丸御門を残して他の建物は焼失し、指定を解除された。
 同二十五年文化財保護法の施行により、本丸御殿は重要文化財に指定された。本丸御殿は昭和二十四年屋根葺替部分修理を行っているが、修理後三十五年を経て、屋根銅板が磨耗し雨漏りが生じるようになり、また昭和五十八年の日本海中部地震により、柱の傾斜等が生じたため、屋根葺替部分修理を実施した。
 実施に当たっては松前町の直轄工事とし、設計管理を松前町教育委員会文化財課が担当した。

現地説明板より



「北海道指定有形文化財 旧福山城本丸表御門玄関」

 慶長十一(1606)年に完成した城は当時これを福山城と称していた。しかし、多くの建物を焼失、同十六年これを修築した。
 その際、表御殿には京都伏見城の一部が移されたと伝えられている。
 明治八年、北海道開拓使の命令により、福山城は取り壊されたが、天守と本丸御門表御殿は残った。
 表御殿は松城小学校として充用され、明治三十三年新校舎が完成した後もこの玄関だけは小学校正面玄関として、昭和五十七年まで利用されてきた。

現地説明板より









     
     
     
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