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北島三郎記念館

北海道函館市末広町22番地11号

撮影日:2007年07月31日


 函館行きの列車搭乗口です。屋根には雪が積もり窓も凍りつき、厳しい北国の冬の寒さを細かく再現してありました。

 列車に乗ると、ダルマストーブの前でサブちゃんが朝食を食べてました。
前夜、母の作ってくれた弁当箱を二つ、一つは朝飯として汽車の中で、弁当の中身は、ご飯に黒砂糖をばぶしただけのひっそな物でした。が、その弁当箱(スチール製)をダルマストーブで暖めると黒砂糖がご飯に溶け込み、大好きな「母さんのぼたもち」の味がして、サブちゃんのお気に入りの朝飯だったそうです。
 高校時代、知内から函館までの道後は遠く、片道50キロ、1時間半をかけ、蒸気機関車がモクモクと吐き出す煙に包まれた貨客車の固い座席に揺られ、車窓の流れる景色を見ながら何を考えてたんでしょうね。(車窓には、サブちゃんの思い出が映しだされてました。)
 ここで、一緒に座ってると不思議に臨場感に漂い、実際にその場に身を置いているかのような感じになりました。
サブちゃんと一緒に記念撮影をしました。

青函連絡船
 高校の卒業が間近に迫った頃、父親に「俺は、歌手になる。東京へ行ってスターになるんだ!」っと長男の途方もない夢を打ち明けられた父は驚き、「馬鹿なことをいうでねぇ」と父はそっぽを向いた。
 しかし、彼の決心は固く、「穰、東京さ行け。でもな、もし帰ってきてもおまえに分ける田畑は一つもねぇぞ」父は厳しい表情で言った。父の言葉と反対に
「駄目な時は、いつでも帰ってきな。
 体だけは気をつけろ」
と言って母は涙ぐんだそうです。

 出発の前夜、両親が贈ってくれた真新しいダスターコートをボストンバックに詰め、止め処なく涙が溢れたそうです。
 18歳の春、歌手デビューの夢を乗せ故郷を離れる青函連絡船。
ボストンバック一つに大きな夢を…東京へ。



 小雪舞う函館港に青函連絡船のドラが鳴り、見上げると灰色の空に鴎が舞う。
一家を支えるはずだった長男、サブちゃんはこの時、どんな気持ちで、この風景を見てたんでしょうね。

18歳の頃、東京へ出てきたサブちゃんが住んでいた街並みが再現してありました。


 事務所近くの電柱で見つけた「貸間あり」の小さな貼紙。渡りに舟と、引っ越した。
自ら飛び込んだ流しの世界とはいえ、収入も不規則で、台所脇の三畳間で空きっ腹を抱える日もあった。


 窓から覗くと、そこは三畳一間の部屋に、片手に持ってきたギターと、壁にかかった両親が贈ってくれた真新しいダスターコート。
 テーブルも、何かの箱にテーブルクロスをかけただけのひっそな物でした。
同じ年代の方だったら、この風景を見ると、当事の生活振りを思い出すのではないでしょうか?。
 私の親も、結婚当事は、3畳一間にみかん箱で食事をしてたそうです。

 「大野さん、カレーライス作りすぎたんだけど、食べてくださる?」下宿の娘、雅子さんの声だった。
 多分、彼の暮らしぶりを知っての上での一言だったろう。カレーライスの匂いと共に優しさが身に沁みた。


 部屋には、家財道具(タンスもテレビ等)も何もない。ただ、布団に火鉢だけの寒さを凌ぐだけの感じの部屋でした。

     
     
     
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