TOPへ | 五稜郭公園 | 市立函館博物館 五稜郭分館 |
北海道函館市五稜郭町43-9
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市立函館博物館五稜郭分館
当館は1954(昭和29)年に開催された北洋博覧会の物産館の建物を利用して翌年6月に市立博物館五稜郭分館として開館した。 |
五稜郭築城設計及び 監督箱館奉行支配諸術調書教授役 武田斐三郎先生 顯彰碑 五稜郭は我が国はじめての洋式築城で安政4年着工。 7年の歳月を費して元治元年(1864)に竣功した。 のち旧幕府脱走軍がこの城に拠り箱館戦争の本城となった。 築城100年を記念に当ってこの碑を建てた。 昭和39年(1964年)7月18日 |
兵糧庫(ひょうろうこ) この建物は、「兵糧庫」といい、食糧等物質を備蓄するために造られた土蔵造りの建物で、元治元年(1864年)五稜郭が築城された当時のものです。 当時、郭外には奉行所に勤務する人々の役宅がありました。 明治元年(1868年)10月、旧幕臣榎本釜次郎(武場)等が五稜郭を占領した際(箱根戦争)も使用されましたが、郭外の役宅は翌年2年、戦火にあい焼失し、郭内の建物も同4年開拓使の手により解体されました。 この「兵糧庫」だけは解体をまぬがれ、長い間の風雪にも耐えてきたのですが、老朽化が著しいため平成13年〜14年にかけて、復元工事を実施し、現在に至っております。 |
ブラッケリー砲(前装式施条砲) 全長 2m55cm イギリスオードナンス社製造 重量 約2,500kg 射程距離約1,000m(推定) 昭和36年(1961年)市内豊川町より発見。 旧幕府脱走軍が湾内攻撃のため、築島台場に設置したものと思われます。 クルップ砲(前装式施条砲) 全長 2m85cm ドイツクルップ社製造 重量 約1,000kg 射程距離約3,000m(推定) 昭和7年(1932年)七重兵埋め立て工事の際に発見。 旧幕府脱走軍、軍艦蟠竜に撃沈された新政府軍軍艦朝陽の艦載砲と思われます。 |
玄関式台 この「玄関式台」は従来「箱館奉行所内玄関式台」と伝えられてきましたが、平成17年度の解体調査によって「箱館奉行所内玄関式台」ではないことが分かりました。 「玄関式台」とは、現在の住宅でいえば玄関前のポーチ部分の屋根にあたります。 この「玄関式台」は、旧函館税関の海側に面した玄関に使用されていたものです。 明治43年の改築の際に払い下げられ、斉藤家が買い受けて大正9年に弁天町の家屋新築の際に利用しました。 その後、昭和43年に旧斉藤家からこの場所へ移築しました。 |
公園内で、ソフトクリームを買って、休憩する場所を探していると、階段を上がると高台がありそこから見る五稜郭タワーの光景が良かったので写しました。が、逆光で上手く撮れませんでした。 |
こちら側には、二の橋が見え、奥には貸しボートがあるようです。 |
五稜郭公園の入口には、綺麗な花の花壇が幾つもありました。 |
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