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五稜郭公園

北海道函館市五稜郭町43-9

撮影日:2007年07月31日

市立函館博物館五稜郭分

 当館は1954(昭和29)年に開催された北洋博覧会の物産館の建物を利用して翌年6月に市立博物館五稜郭分館として開館した。
 当初は歴史と自然関係資料を展示していたが、現在は五稜郭の築造および戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争に関する資料を展示している。

最後の特別展開催中
第1部 血戦!戌辰戦争
第2部 さよなら これが五稜郭分館だ!


五稜郭築城設計及び
監督箱館奉行支配諸術調書教授役


武田斐三郎先生 顯彰碑

五稜郭は我が国はじめての洋式築城で安政4年着工。
7年の歳月を費して元治元年(1864)に竣功した。
のち旧幕府脱走軍がこの城に拠り箱館戦争の本城となった。
築城100年を記念に当ってこの碑を建てた。
昭和39年(1964年)7月18日



 
兵糧庫(ひょうろうこ)

 この建物は、「兵糧庫」といい、食糧等物質を備蓄するために造られた土蔵造りの建物で、元治元年(1864年)五稜郭が築城された当時のものです。
 当時、郭外には奉行所に勤務する人々の役宅がありました。
 明治元年(1868年)10月、旧幕臣榎本釜次郎(武場)等が五稜郭を占領した際(箱根戦争)も使用されましたが、郭外の役宅は翌年2年、戦火にあい焼失し、郭内の建物も同4年開拓使の手により解体されました。
 この「兵糧庫」だけは解体をまぬがれ、長い間の風雪にも耐えてきたのですが、老朽化が著しいため平成13年〜14年にかけて、復元工事を実施し、現在に至っております。

ブラッケリー砲(前装式施条砲)
全長 2m55cm イギリスオードナンス社製造
重量 約2,500kg 射程距離約1,000m(推定)

昭和36年(1961年)市内豊川町より発見。
旧幕府脱走軍が湾内攻撃のため、築島台場に設置したものと思われます。


クルップ砲(前装式施条砲)
全長 2m85cm ドイツクルップ社製造
重量 約1,000kg 射程距離約3,000m(推定)

昭和7年(1932年)七重兵埋め立て工事の際に発見。
旧幕府脱走軍、軍艦蟠竜に撃沈された新政府軍軍艦朝陽の艦載砲と思われます。

玄関式台

 この「玄関式台」は従来「箱館奉行所内玄関式台」と伝えられてきましたが、平成17年度の解体調査によって「箱館奉行所内玄関式台」では
ないことが分かりました。
 「玄関式台」とは、現在の住宅でいえば玄関前のポーチ部分の屋根にあたります。
 この「玄関式台」は、旧函館税関の海側に面した玄関に使用されていたものです。
 明治43年の改築の際に払い下げられ、斉藤家が買い受けて大正9年に弁天町の家屋新築の際に利用しました。
 その後、昭和43年に旧斉藤家からこの場所へ移築しました。

 公園内で、ソフトクリームを買って、休憩する場所を探していると、階段を上がると高台がありそこから見る五稜郭タワーの光景が良かったので写しました。が、逆光で上手く撮れませんでした。

こちら側には、二の橋が見え、奥には貸しボートがあるようです。





五稜郭公園の入口には、綺麗な花の花壇が幾つもありました。


     
     
     
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