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博物館 網走監獄

北海道網走市呼人1-1

撮影日:2007年07月14日

休泊所(きゅうはくしょ)

 受刑者が塀の外に出て、日帰りが出来ない作業をする場合は「休泊所」と呼ばれた仮小屋で寝泊りしました。
 札幌と網走を結ぶ中央道路の開削工事にあたり、明治24年4月から11月までの8ヶ月間に、延べ1,200人の受刑者が投入され、工事の進行に伴い、次々と休泊所を建てては移動していきました。

 別名「動く監獄」と呼ばれ、その建て方は丸太が材料で、壁は60〜90cm位掘って割り板を縦に打ち込み、部屋の中央は土間で、突きあたりがトイレでした。それには、囲いがなく四六時中監視されていたのです。
 寝床は板張りで、枕の代用として丸太棒が床に釘付けになっており、寝具は薄い柏布団1枚でした。
 出入口も1か所で、逃亡を防ぐ作りになっています。
後にこれらの休泊所の洋式が開拓時代の強制労働で知られる一般労働者の工事現場に取り入れられ、飯場(タコ部屋)と呼ばれました。

・建築年代 明治24年
・再現年代 昭和58年
・面積 48.6u





耕耘庫(こううんこ)

 農園刑務所として全国的に有名な網走刑務所は札幌農業伝習学校(現在の北海道大学農学部)卒業の技官を採用してアメリカの近代農業制度を取り入れ、その技術は非常に進歩したものでした。
 刑務所内の敷地だけでなく、網走市郊外の二見ヶ岡、湖畔、住吉といった各農場の拡張が進められ、日本で唯一水田を持つ刑務所となり、その実績が認められ、大正11年司法省より「農園設備特設刑務所」に指定されました。
この耕耘庫には当時農機具や肥料が収められていたのです。

・建築年代 明治24年
・再現年代 昭和58年
・面積 77.75u


手押し豆播機(オホーツク農業)・プラウ(春)


田打転車・三台除草機(夏)


足踏み脱穀機・唐蓑・ビート大根堀機・唐竿・岩田式籾剥機・飼葉桶・柴巻馬橇(秋)



漬物庫

 冬の間、野菜が不足する網走では、秋に収穫した野菜を越冬用として貯蔵し、漬物として補いました。
一回の食事で収容者の与えられる漬物の両は約25グラムで、「たくあん」なら3切れほどでした。

 夏場はキャベツ、ハクサイ、キュウリ等の新漬を食べ、霜がおりる頃になると刑務所内の空き地には丸太が組まれた、たくあん用の大根干しが始まります。
二十五石桶という、直径、深さとも1.6mの巨大な桶に約3.000本の大根をつけこみました。

・建築年代 明治24年
・再現年代 昭和58年
・面積 72.9u


味噌醤油蔵

 農園刑務所として自給自足を目ざしていた網走刑務所は、明治25年に30坪の味噌醤油工場を建てて味噌や醤油等の調味料を製造しました。

 大豆は麦についで耕作面積が広く、仕込みの手かげんで微妙な味となるので、製造は経験の長い受刑者が専属にあたりました。
 この蔵に展示してある大きな樽は、五十石という樽で約9,000リットル(1升ビン約5,000本)もの醤油が入る巨大なものです。

・建築年代 明治25年
・移築年代 昭和58年
・面積 43u



殺菌釜・粉砕機・洗瓶機・瓶詰機等



稲架掛(はさか)

 刈り取った稲を干す時に使用する、木で組んだものを、稲架(はさ)といいます。
稲架には、地方により種々の形式があり、呼称も、はざ、いねかけ、いなき、いねぎ、かかけ、おだ、あし、など多様です。

 網走刑務所においても、住吉農場という、本所から26km程離れた泊まりこみの施設で昭和3年から水田15町歩(45000坪)を作ってましたので、秋の収穫時の風景が見受けられました。

     
     
     
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