TOPへ | 網走監獄 | 網走監獄1 | 網走監獄2 | 網走監獄3 | 網走監獄4 | 網走監獄5 | 網走監獄6 | 網走監獄7 |
北海道網走市呼人1-1
|
受刑者が塀の外に出て、日帰りが出来ない作業をする場合は「休泊所」と呼ばれた仮小屋で寝泊りしました。
別名「動く監獄」と呼ばれ、その建て方は丸太が材料で、壁は60〜90cm位掘って割り板を縦に打ち込み、部屋の中央は土間で、突きあたりがトイレでした。それには、囲いがなく四六時中監視されていたのです。
・建築年代 明治24年 |
農園刑務所として全国的に有名な網走刑務所は札幌農業伝習学校(現在の北海道大学農学部)卒業の技官を採用してアメリカの近代農業制度を取り入れ、その技術は非常に進歩したものでした。 ・建築年代 明治24年 |
手押し豆播機(オホーツク農業)・プラウ(春) |
田打転車・三台除草機(夏) |
足踏み脱穀機・唐蓑・ビート大根堀機・唐竿・岩田式籾剥機・飼葉桶・柴巻馬橇(秋) |
漬物庫
冬の間、野菜が不足する網走では、秋に収穫した野菜を越冬用として貯蔵し、漬物として補いました。
夏場はキャベツ、ハクサイ、キュウリ等の新漬を食べ、霜がおりる頃になると刑務所内の空き地には丸太が組まれた、たくあん用の大根干しが始まります。 ・建築年代 明治24年 |
味噌醤油蔵 農園刑務所として自給自足を目ざしていた網走刑務所は、明治25年に30坪の味噌醤油工場を建てて味噌や醤油等の調味料を製造しました。
大豆は麦についで耕作面積が広く、仕込みの手かげんで微妙な味となるので、製造は経験の長い受刑者が専属にあたりました。 ・建築年代 明治25年 |
殺菌釜・粉砕機・洗瓶機・瓶詰機等 |
刈り取った稲を干す時に使用する、木で組んだものを、 網走刑務所においても、住吉農場という、本所から26km程離れた泊まりこみの施設で昭和3年から水田15町歩(45000坪)を作ってましたので、秋の収穫時の風景が見受けられました。 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||